577A7071
俺の中で、このキミナリ君の行動力と言うか、やるといったらどこまでもやる。みたいなところは正直ものすごい影響を受けた。その後キミナリくんは加入していたデスメタルバンドで、なんと国内でカンニバル・コープスの前座をやって、それで彼は一区切りをつけてバンドをやめたということ。そしてその後、ポップミュージックを作っている。という話をきいた。ただ、この頃の記憶が俺はもうあまりないので、いつ会ってどんな話をしたかよく覚えていない。

ただ俺たちはカナダで結構濃密な友人関係を作っていたので、お互いたまに電話してたんだと思う。よくよく考えたら18の頃に会ってから、これまで20年間、おそらく10回くらいしか実際には会ってないと思う。

その後、ポップのバンド(なんとかハニーバニー)のライブを見たり、渋谷の暗いライブハウスで暗い音楽(実際には暗くしようしようとしているけど、根あかがばれていた。)をやっていたり、横浜駅前でカフォーンの人とギターでセッションしているのを見たり、あと路上ライブで集めたファンをライブハウスに集めてやってるソロライブをみたり、要所要所で彼のその時の音楽活動を見せてもらった。

俺は28歳くらいに音楽で飯をくえるようになっていて、その頃彼は確か、大学に行って弁護士になる。とか言ってたと思う。その当時どっかの居酒屋で飯を食ったのだが、彼は頑なに酒を飲まなかった。酒を呑むのは女を口説くときだけだ。とか言ってたっけ。

いつかは忘れたけれど、彼がうちに遊びに来て、DTMを教えてほしい。というのでabletonliveの簡単な使い方と、実際に俺がどうやって曲を作っているかを見せてあげた。ほーほー。とかいいながら見ていたけれど、その後「オリジナル作ったから聞いてみて」といって送られてきた曲は時代遅れのトランス風なダサい曲だった。まぁ最初はこんなものだろう。と思っていたが、それ以来彼の曲は聞いていなかった。というか俺は彼の曲をデスメタルバンドのやつ以外聞いたことがなかったのだ。

それから、また数年経って、彼は中国にいく。と言ってきた。その頃俺は音楽の仕事をやめて、別の仕事に転職した頃で、最初のうちは中国とスカイプで連絡を取り合っていたが、若干話が噛み合わない部分があったので、疎遠になっていった。

つづく

ならおかファーム(最近野菜売れてきてるみたいです。)