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前に言った通り、料理と作曲の共通点。
それは創作である。

例えば、ニンジンはニンジンのままかじることもできる。
それはシンセオタクがシンセの音だけ聞いているのと同じ。

しかし人にニンジンをポンと投げ、さぁ食え。といったところで
大抵のやつは食わないのはわかるよな?

調理されてないからだ。
それは音楽も一緒。

料理が料理であるように、曲は曲でなければ
人はそれを曲だと思わない。

そういうことだ。

料理は、あらゆるレシピを見て作っていると
そのうち、それらに共通している、あるルーチンが見えてくる。
例えば、こうだ。

ダシを取り、素材を切り、調理して、味付けるといった手順だ。

作曲において、ルーチンを見つけたやつは
無敵モードに突入する。マリオがスターを取った状態といえばわかるか?
わからないか。

作曲法というのは、さまざまである。
ある程度手順が公開されているものもあるので
最初のうちはそれを真似していればよい。

コードやビートといった素材を入れ替えても
曲として成り立つことに気が付くだろう。それらの仕組みに気が付いたときに
人は作曲家として一歩前進する。

ただし、自分が好きなジャンルの音楽の作曲法が常に公開されているとは
限らない。

特に昨今は電子音楽全盛期。
手で弾いてない部分は、未知なことでいっぱいだ。
雑誌を読んでも書いてない。ネットで聞いても教えてくれない。
そんなことはざらである。

そういう時、どうすればよいか?

俺がおすすめな方法は

なんとなく、真似すればよい。である。

そして、大事なのは、大枠。細かいところは後でいい。

結果、違ってても、一生懸命、手探りで真似しようとしたときには
何かしら得るものがある。

そして、大事なのは、トライしようとした過程にあることが多い。

それを続けていく者にだけ得られるご褒美というのがある。

それを得るのが遅い人もいるし、早い人もいる。そこで得た知識は
生涯自分の武器になる。

真似して、似ていなくても、そのいびつな感じが個性になったりする。

自分が好きなものを表現しようとしたときには
そこには、その人にだけしか表現できない真実がある。

アマチュア作曲家には2種類いる。

1つは、人に認めてもらいたいだけの作曲家。

こういうやつは、自分の曲がいかにプロの曲と近いかをアピールすることに一生をかける。
認めてもらえるのであれば、別に作曲でなくてもいい。
こういうやつは、セックスしたら人生が変わる。
要するに童貞なのだ。ソープへ行け。

2つは、自分の好きなものを表現しようとする作曲家。

人の心を打つのは後者だ。
前者はどこまで行ってもフォロワーでしかない。

いつか自分だけのルーチンを見つけたら
飽きるまで曲を量産すればよい。
その時に、そのルーチンを人に教えようなんて思わないと思う。
だから、情報は公開されないのだ。

というか説明しても伝わらないと思う。

変だから。

作曲してて飽きないのは、自分だけのルーチンを見つけてしまったとき
それは楽しくてしょうがないのだ。

「俺、こんな方法で曲作ってるわ。ほかのやつとは絶対に違うわ・・w」

自分でも笑ってしまうのだ。その状態が一番いい。

それは、自分だけのオナニーの方法を見つけてしまったような感覚だ。
自分だけのオナニーの方法を見つけろ。
話はそれからだ。