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音楽が好きで、音楽なしの人生なんか考えられない。という気持ちはわかる。だが、その昔タワレコが標榜していたNO MUSIC NO LIFEという言葉を、座右の銘にしているような人間はどこか信用できない。

それはやっぱり、その人間がそこまで音楽に裏切られた経験がないんだろうな。と思うからだ。

例えば、ものすごい好きで好きでたまらない、出すアルバムのどれもが捨て曲なし。作り込みも激しい。最高。だと思っていたのが、ある時から突然セッションで作りました。みたいなクオリティの低いアルバム出したとき、そんな時は、「オマエ裏切りやがって!」って思わないか?

そういう時に、NO MUSIC NO LIFEを平気で口にする、タワレコ洗脳民(そんなやつもうイないと思うけど)たちは、内容本当に聞いてんのか?って思うほど、「新作も実験的でいいよね~。」とか言っちゃってるのをよく見てきた。そういやつは大抵前提としてロッキンオンに洗脳されているし、タワレコのPOPに洗脳されている。

俺はそういう奴らが音楽ビジネスをダメにしたと思っている。

結局、あの頃音楽というのは一大ビジネスだったから、新作の内容がちょっとダメでも、毎回、今世紀最大の超大作が出来た!って宣伝していたのだ。今はそんなの通用しないでしょ?

その結果、音楽の良し悪しを自分の耳で判断できないやつらが大量に量産された。音楽を聞くのが好きなんじゃなくて、音楽を聞いている自分が好きなやつらが大勢いたのだ。

そんな時俺は一人で、そういうマーケティングに惑わされず、自分の耳で良し悪しを判断していた。しかし、このブログでも何度も言っているように、音楽の価値というのは相対的なものだから、それは最終的に、人それぞれ。という言葉で片付けられる。

くやしくないか?

俺は、自分が好きなもの。自分だけがわかるもの。(と思っているもの)というのを表現したいと思ったのが、作曲家になりたい。と思った原点だった。

だが、それも頓挫したのだ。自分にはその力がなかった。俺はそういう挫折を経てきたからこそ、NO MUSIC NO LIFEというのは、ちゃんと音楽に向き合ったことがないやつの戯言だと思っている。

え?ひねくれてる?だからこんなブログ書いてるんだよ。