シンセを買って、手で弾いて。って今時YMOでもコピーするんか?って思う。
あのな、シンセとシーケンサーはセットなの。

シンセを操るのが手だけだと、シンセの良さの1%くらいしか発揮できないんだよ。もちろん手弾きの良さはあるよ。ただ、機械でコントロールできるってことがどれくらい、すごいかを知ったら、それは単なる1つの趣味だって思うよ。

まず、悲しいかな、今だにシンセはMIDIで打ち込まなければいけない。これなんで半自動にならないんだろうね。多分、それはね、アートというのは自動化できないからなんだよ。アートというのはもっともコンピューターが苦手とする分野だと俺は思う。人間の情感に訴えかけるものをコンピューターはわかってない。心がないってことね。今の所。補助はできるけど。

で、話逸れたけれど、MIDIでコツコツ打ち込む行為。これはMIDIが発明されたときから、ずっとそう。MIDI以外の音楽打ち込みプロトコルが流行らないのは、それ以上のものがないから。というか必要ない。

MIDIで打ち込む。これはプログラミングだ。プログラミングというのは結果がどれくらい派手でも、その中身をみたら、ものすごい地味なんだよ。手品と一緒。

手品だけ見ていると魔法みたいだけれど、種を明かすと、なんだこんなことか。と思うようなことと一緒。

で、話まとめに入るけど、シンセの音作りってのは、シンセのパラメーターをセットして終わりじゃないんだよ。シーケンサーにCCでオートメーションを打ち込むことも音作りなんだな。そこまで設計するからシンセはしんどいし、マジックを起こせるわけだ。もちろん生楽器だってリアルタイムにいろいろコントロールしてるよね。その代わりシンセはリアルタイムでいじれない部分までプログラミングできる。だから、もう無限に音が動的に設計できるわけだ。



MIDIを死ぬほど細かく打ち込むやつをコントロールフリークっていうんだけど、そう感じさせないけれどめちゃく複雑なことやってるな。って思うのがオウテカ。


逆に感じさせるのがプッシャー。