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歳をとって、俺の中にひとつ変化が現れた。俺は長年優れた音楽を求めて生きてきた。優れているものの基準の一つとして、パッケージとして完成しているか?というものがあった。

つまり、それは売り物として完成しているか?ということだ。

だが、今の俺はパッケージとして完成していなくとも、そこに荒削りだが、確実に大事なものを描けているものについても、やはり価値がある。と思い始めたのだ。

今のDTM完パケ時代。誰もが売り物としての完成品を求められる時代。ミックスが下手だったり、構成が下手だったりするものは商品として見なされない。

それが常識となりつつある。

が、どうだろう。俺はここに苦言を呈したい。

次に来るのはラフミュージックだと思う。聴衆は完成した(風)なものに飽き飽きしている。完成した風とはどういうことか?そう。既存の流行っているジャンルに極度に寄せられたサウンドプロダクションのものだ。たしかに聴衆は、ジャンルを求めている。と同時に聴衆は全く新しいものを求めている。

完成の次は破壊だ。次にくるのはラフなものだ。それも狙ってラフに作られたものではない。その人の最高潮がラフに感じるものだ。

ラフなのに才能に満ち満ちている。そんな音楽が時代を変えると俺は確信した。

俺は一人の男と再開した。彼の名は奈良岡キミナリ。ミュージシャン。そして旧友だ。彼の長年に渡る音楽作品は1000曲を超える。そしてそのほとんどが世に出ていない。最近偶然彼の楽曲の一部を聞くきっかけがあった。そして俺は確信した。彼は間違いなく天才だと。彼の荒削りなサウンドに秘められた底なしの悲しみ(infinity sadness)はとんでもない。彼の描く世界は究極の孤独だ。