音楽をやっていく上で、もっとも障害となること。それは親の理解のなさだ。このブログを読んでいるやつで学生もいるかと思うが、親が音楽の学校に通わせてくれないだとか、そんな飯のタネにならないようなことをやめろ。だとかか言われたことのあるやつもいるだろう。言われないにしても、親というのは子供に将来不自由なく暮らして行ってほしいだとか、あやよくば労働力になって家に金を落としてほしい。なんて思うのが普通だ。

かくいう俺も親の理解は得られなかった。最近ふとはじめて俺が自分から主体的に音楽をやりたい。と思った中学生時代に地元のギタースクールに通いたい、と親に言ったときに一蹴されたことを思い出した。あの時家は金回りがよかったはずなのに一蹴されたのは、音楽ごときに金を払いたくない。という親の意向が間違いなくあった。そしてそのことを、今でも、ものすごく恨んでいる自分がいる。

これは間違った考えなのはわかっているが、あのときちゃんと基礎から勉強していたら・・なんてことをふと思うこともある。そして、確かあのとき親に反抗する意味をこめて自分でギタースクールの月謝を払おうと思ってバイトしたが、結局月1万程度の月謝が払えずにやめた。

あれから、絶対に自分の力で音楽で飯を食って親を見返してやる。というネガティブなモチベーションで音楽をやっていた節がある。結果それが音楽を楽しめなくなった理由の一つでもあると思う。音楽は楽しみながらやるものだ。楽しくないものは続かない。今は自分の稼いだ金で自由にやっているから、もうあの頃とは全く違う。

はっきり言ってこのご時世、子供が音楽をやりたい。なんていって、うんいいよ。なんて言えるような、お気楽な時代ではないのは、みんなもわかっていると思う。だからこそ音楽やるやつは、全部自分で背負う覚悟が必要だよ。と言いたい。音楽をやりたい。なんていうのは親を失望させるパワーワードなのだ。

この記事のタイトルは俺の好きな「書を捨てよ街へ出よう」からの引用だ。田舎から都会に出て一人でやっていくのは、すごいエネルギーが必要。それこそ親を殺すくらいの勢いがないとだめだ。それができるやつしか成功なんてしやしないんだよ。っていう寺山修司のメッセージだ。

もちろん、今はそういう時代じゃないかもしれない。だがこの言葉は俺の20代の心の支えだった。