
コミュニティ内では、たくさんの人が自作曲を晒してくれている。みんなすごい真面目だしやる気を感じる。
コミュニティ内のルールとして、曲のダメ出しは誰でもできるし、やるときは自分のことを棚にあげていいから、いくらでも思ったことを言ってあげるべきだ。と言っている。
これは、言う方も言われる方もすごいエネルギーを使うし、慣れてないことだと思う。でも、お互いにそれで曲がブラッシュアップされるのなら、そっちのほうが結果お得だ。と信じているからやっていることだ。
面白いのが、ダメ出しするというのは、自分で自分のアイデンティティを確認する作業になっていることだ。
俺の場合、ダメ出しするときには、その人の中の純粋な部分に耳を向けようとしている。この人は、ここの部分がすごい純粋でさらけ出せてるなと思ったら、その部分をできるだけ肯定するし、その部分を、なるだけ多くの人に理解させるために、こうしたら?と技術論を言っている。
純粋な部分って何?と言われたら困るんだけれど、不器用だけれど、がんばってそこに向かおうとしている感じだったり、全く流行ってるものと違うんだけれど、その人の持ってる確たるパターンみたいなものだ。
俺がかつて作曲が嫌になった理由は、その純粋な部分を伸ばさずにダサい部分を隠そう隠そうとして努力した結果、自分に何もなくなってしまったことだ。
多分世の中のDTMで苦しんでいる人たちは、そういう自分の純粋な部分を自分で認めてあげらてないんではなかろうか。だとしたら一度自分の純粋な部分に目を向けたほうがいい。
そのときに大事なのは、時代の常識だったり、数の論理から離れて宇宙から地球を見下ろすくらいの視点を持つことだ。大抵のことはどうでもいいことだ。
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