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音楽を趣味にするといっても、多岐多様だ。音楽を聞くだけ、ライブにいってアーティストを応援する。クラブに行って踊る。またはナンパする。バンドで練習してライブする。もう様々。

そんな中でDTMって一体どういう位置を占めているのだろうか?
たとえばバンドでギターをやってるやつが居たとして、そいつのゴールはなんだろう?もっと上手いバンドに引き抜かれて、いずれはメジャーデビューなんだろうか?そのバンドで自分が曲を書くのか?それとも他人が書いた曲のギターを演奏するのか。

DTMやってるやつは、自分で全てを書きたいという、トータルプロデュースをしたい奴らがやる趣味だ。DTMをやってるやつは、曲を作って人に認められることがゴールだ。その過程で金が稼げたり、モテたりできたらいいなと思っている。これが普通だ。

では、曲を全て自分で作るというのは、一体どういう魅力があるのだろうか?少々遠回りするが話を聞いてほしい。

たとえば幼少期よりピアノを演奏している人がいるとする。彼女はショパンが好きで、ショパンの曲をコンクールでいかに感情込めて弾くことがGOODと思って日々練習している。

しかし、DTMやってるやつは、こんなのどうでもいい。人の曲をシーケンサーの如くうまく再現する。とか楽しいと思っていない。それよりも、自分の曲をいかにして大勢に繰り返し聞かせるかしか考えていない。

たとえば学校で、サッカー部のやつらが何人かいて、昨日のワールドカップの様子を大声で喋っているとする。大迫まじハンパないってー。とか言ってる連中だ。その隅で、ZEDDの新曲のかっこよさについて真剣に分析している高校生もいる。

そういうやつは、多勢に対していつか自分の価値観を証明したいと考える。これが初期衝動だ。俺はZEDDのほうが大迫よりも、圧倒的に優れていると証明したい。と、まったく違う次元の価値観を、単にクラスの数の暴力に対して対抗するためだけに、執念を燃やす。大抵はそういうことから、DTMをやりたい。ということ始まる。

そう。DTMで自分で曲を全部書いて人に聞かせて、承認されたい。というのは、マイノリティー的発想なのだ。マイノリティーというのは常に執念がすごい。

DTMの魅力は、あらゆる楽器をトータルで制御することにある。そしてそれは言い方を変えれば、世界を支配したいということだ。

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俺から言わせばDTMにハマっているやつは危険思想が強い。国家からみれば反乱分子そのものだ。今すぐ取り締まったほうがいい。

つまりDTMの魅力は、誇大妄想を引き起こす麻薬を摂取することと同義。合法ドラッグだ。