
いい曲ができると、人生が輝いて見える。そういうのが月に1度でもあると、人は正しい道を歩んでいけるのではないだろうか。
俺は子供のころに他人に思いがけず評価されたことがあって、工作の時間に粘土と瓶でお城を作ることがあった。
俺は他人の目を気にせずにただ、ひたすら楽しんで作っていた。できてみて、みんなのを見てみると、立派な城が多くて、自分のは割とシンプルなことに気が付いた。みんなのは、絵本でみたようなシンデレラ城がモデルになっているようなのが多くて。俺のはそういう風に一般化された城ではなかった。
しかし、俺の城は思いがけず先生に評価され、その後出品され、何かの賞をもらった。俺の城にはユニークな仕掛けがあったから。城の後ろに秘密の露天風呂をつけていたのだ。この時の成功体験を42になった今でも忘れないでいる。
いや、正確にいうと、俺は一度その気持ちを忘れて音楽をやめていたのだ。だが今また取り戻した。それは音楽で飯を食わなきゃいけない。みたいな強迫観念から逃れられたからだ。
自分らしいというのはどういうことだろうか?お前はシンデレラ城を作るタイプだろ?
コメント
コメント一覧 (3)
そうですね。仕事のためならシンデレラ城の作り方は知っておいても損はないですね。
ちなみにシンデレラ城は単なるシンボリックなもののメタファーであり、私はシンデレラ城をデザインした人(ウォルトディズニーか知りませんが)は素晴らしいと思いますし個性的だとも思います。
この記事で私が言いたいのは、人は知らず知らずのうちにシンデレラ城を作ることを良しとしている風潮があるよ。ということですね。そして、それを大衆が求められているから作る。という大義を得て彼らはやがて、官軍になる。その結果、露天風呂があるユニークな城を踏みつぶしていくんです。
通常私のような子供は、早い段階で多勢に飲まれて、どこにでもいるような量産型人間になっていたかもしれません。しかし、私は運よく個性が評価されたのです。盲目的に100点を取ろうとする、よい子ではなく、独自の着眼点を得た子供を評価したその先生、そしてそれに賞を与えた行政の気まぐれのおかげで、自分のスタンスに生涯自信を得たのです。
しかも考えてみれば、露天風呂というのは機能的なのです。張りぼての城の見た目ばかり気にする多勢に対して、ワンランク上の概念「機能性」を持ち込んだのです。つまりどちらが人の役に立つか?というと、実は私の着眼点であった可能性も高いわけです。
そう考えると、イノベーションを起こすのは、今ないものを持ち込むタイプの人間の可能性が高いのです。そして金は人の役に立つ方に流れます。
言い方はきついですが、仕事のためにシンデレラ城の作り方を学ぶというのは、奴隷的な考え方です。仕事はもらうものではなく、作るものだと思います。「今はまだない必要とされているもの」を作ることです。
余談ですがウォルトディズニーは変質的に生き物感のあるキャラクターを生み出し、それに版権をほどこし永続的な利益を生み出すことに成功しました。クリエイターの鏡ですね。
そして、親も子供も没入できる夢と魔法のランドを、おとぎ話とは何のゆかりもないアジアに作り、日夜信者を生み出しているわけです。ディズニーでは、イマジネーションという言葉をよく連呼しますが、私から見て、ランドに通う人間はイマジネーションを奪われているようにしか見えません。
彼らは与えられること、そして毎日の奴隷的な労働の疲れを癒すためにランドに依存しているように見えます。
ウォルトディズニーは極度の薬物依存症だったとも言われ、それはランド内の造形でも十分伝わります。ダメ絶対の我が国では、そういったドラッグの疑似体験としてもランドはニーズがあるのかもしれません。合法ドラッグみたいなものです。
操る側になるというのは、そこまでしなければいけないのですね。シンデレラ城を模倣するのとは次元が違います。
私は数年前にランドやシーに毎週通っていた時期がありました。ミラコスタというホテルのロビーでAPHEXTWINの名曲Alberto Balsamが流れたときに、今もアシッドカルチャーの影響下にあるスタッフがいるんだな。と確信しました。