AI生成音楽ゴールドラッシュの終了

AI生成音楽ゴールドラッシュの終了

最近、Sunoがバージョン6になった。

長く使い込んできた人たちの一部からは、「終わった」という声が出ている。

俺も、終わったと思っている。

しかも、もう「そのうち終わる」ではない。

蛇口は完全に閉められた。

ただ面白いのは、この「終わった」という感覚が分かる人と、全然分からない人がいることだ。

「今でも普通にいい曲作れるじゃん」
「むしろ音質は良くなってるじゃん」

そういう人もいる。

これはSunoに詳しいかどうかの違いではない。

もっと身も蓋もないことを言えば、耳の違いだと思っている。

「音楽力」と、幽霊が見える耳

音楽には「音質」とか「アレンジ」とか「演奏力」とか「ミックス」とか、いろんな評価軸がある。

でも、その全部を取っ払ったところに、俺は「音楽力」としか呼びようのないものがあると思っている。

このメロディーはすごい。

このコード進行はたまらない。

この展開にやられる。

このビートはノレる。

そういう一つひとつの要素が、絶妙なバランスで噛み合っている曲がある。

音質がいいとか、アレンジが豪華だとか、演奏が上手いとか、そういう個別の話ではない。

全部が噛み合った結果として、聴いた瞬間に「これはいい」と感じる。

俺は、そういうものを「音楽力」と呼んでいる。

そして困ったことに、これは誰にでも分かるものではない。

俺はこれを「幽霊が見える」と呼んでいる。

幽霊が見える人には見える。

見えない人には、何を言っても見えない。

4.5は幽霊がよく出た

Suno 4.5 Proは、この幽霊がものすごくよく出た。

もちろんガチャなので、全部がいい曲ではない。

100曲作れば、大量のどうでもいい曲も出る。

でも、その中にとんでもなくいいものが混じっていた。

しかも、その含有率がかなり高かった。

だから俺はかなり早い段階から「4.5が最強だ」と言っていた。

その後5になって、音質は良くなった。

でも俺は、音楽的には明らかに弱くなったと感じた。

それっぽい。
綺麗。
完成度も高い。

でも面白くない。

幽霊が出なくなってきた。

ここで「いや、5でも全然いい曲作れるよ」と言う人がいる。

もちろん作れる。

でも、俺が言っているのはそこではない。

音質がいいとか、まとまっているとか、ジャンルっぽいとか、そういう話ではない。

音楽そのものに力があるかどうかだ。

ここは、見える人と見えない人では本当に話が噛み合わない。

傑作なんて、そんなに出るわけがない

俺は昔から音楽にかなり厳しかった。

音楽雑誌なんかを読んでいると、毎月毎月「傑作誕生」みたいなことが書いてある。

また傑作。
また名盤。
また最高傑作。

でも俺はずっと思っていた。

そんなに傑作なんて出るわけがないだろう、と。

本当に自分の琴線に触れるアルバムなんて、何年に1枚というレベルだった。

いい音楽なんて、そもそもそんなにたくさんない。

だからこそ、Suno 4.5を使った時に驚いた。

含有率が高い。

もちろん何千曲も作らなければならない。

大量のハズレもある。

でも何千曲も生成すれば、その中に何十曲、何百曲と「これはいい」と思えるものが入ってくる。

これは、俺にとってかなり異常なことだった。

作曲の革命ではなく、選別の革命

そして俺は途中で気づいた。

これは、作曲能力の革命というより、選別能力の革命なのではないか。

AIは何千曲でも作れる。

人間が一曲作る間に、AIは何十曲、何百曲と吐き出せる。

だから「曲を大量に作る」という行為そのものの価値は猛烈に下がった。

でも、その大量の曲の中から、

「これは残せ」

と判断する能力は、別に増えていない。

むしろ、生成量が増えれば増えるほど重要になる。

このメロディーは残すべきだ。
この展開は異常にいい。
このビートには力がある。
この曲は音質が悪くても、核がある。

それを見抜ける人間が必要になる。

だから俺は、Sunoのプレミアムアカウントを4つに増やした。

そして4.5で、一つのジャンルだけをひたすら生成した。

月に何千曲という単位だ。

結果、今では10万曲近いストックがある。

もちろん10万曲全部がいい曲ではない。

そんなわけがない。

むしろ大半は使わない。

でも、その中には2000曲、3000曲という単位で、とんでもなくいいものが混じっている。

過去に選別済みのストックまで合わせれば、さらにある。

そこからまた、100曲、200曲という本当の当たりだけを拾えばいい。

これからやることは、ひよこの選別みたいなものだ。

ひたすら聴く。

違う。
違う。
違う。
これは残す。
違う。
これはすごい。

それを延々とやる。

AI自身には、その曲が本当にいいかどうかなんて分からない。

最後は人間が聴くしかない。

だから俺は、10万曲の完成品を持っているとは思っていない。

巨大な鉱山を持っていると思っている。

その中に金が混じっている。

問題は、金が見えるかどうかだ。

そして俺は、その金が見える。

音質なんて、後からどうにでもなる。

楽器も変えられる。
アレンジも変えられる。
ミックスもやり直せる。
サウンドも全部作り直せる。

でも、いいメロディー、いいビート、いい展開。

そこに宿っている「音楽の核」は別だ。

そこさえ取れればいい。

だから俺は、生成された完成品そのものを集めていたわけではない。

未来に使える「音楽の種」を集めていた。

蛇口は閉まった

そして、実はこの話を今になって書いているのには理由がある。

もう終わったからだ。

最初のゴールドラッシュは、もう終わった。

今これを読んで、

「なるほど。じゃあ自分もSunoで何万曲も作って、いい曲だけ選べばいいのか」

と思っても、もう遅い。

同じことはできない。

なぜなら、蛇口がもう閉まったからだ。

俺はそれを、音楽より先に画像AIで見ていた。

GoogleのImagen 3は、かなり無茶ができた。

現存するアーティストの作風を、かなり露骨に引き出すことができた。

ものすごく「この人っぽい」画像を普通に作れた。

ところが世代が変わると、急にできなくなった。

AIの能力が下がったわけではない。

出せなくなったのだ。

その時に俺は思った。

「音楽も絶対にこうなる」

と。

むしろ音楽の方が、もっと厳しくなる。

音楽は権利ビジネスの塊だからだ。

AIというのは、本来、人間が作った素晴らしい作品を大量に学習すれば、とんでもないものを出せる。

能力がないわけではない。

むしろ逆だ。

出せる。

でも、

「そこまで学習するな」
「そこまで似せるな」
「そこまで出すな」

と言われれば、出せなくなる。

技術の限界ではない。

権利の限界で蛇口が締められる。

俺は画像AIでそれを見た時に、音楽も同じことになると考えた。

だから、使えるうちに使った。

4.5がまだ生きている時に、アカウントを増やして、ひたすら生成した。

今となっては、それが正解だったと思っている。

価値が分かってから掘っても遅い

感覚としては、初期のビットコインを掘っていたのに少し近い。

まだ誰も価値を理解していない時に掘る。

みんなが「そんなもの何になるの?」と言っている時に掘る。

価値が広く理解されてから掘っても遅い。

人間は残念ながら、多数決で物事を見るところがある。

みんなが価値があると言い始めてから、

「そうなんだ」

と気づく。

でも、その時には一番おいしい時期は終わっている。

早く気づく人間は、別に未来が見えているわけではない。

過去の経験がある。

判断軸がある。

そして、幽霊が見える。

俺はSuno 4.5を聴いて、

「これはいい曲を出している」

と普通に分かった。

AIだからとか、人間だからとか、そういうフィルターを通さずに聴いていたからだ。

そもそも俺は、誰が作ったかなんてどうでもよくて、「いい曲かどうか」だけで音楽を聴いてきた。

有名な人が作ったからいい曲になるわけでもない。

人間が苦労して作ったからいい曲になるわけでもない。

無名の人が作ったから価値が下がるわけでもない。

だから、その作者がAIになったところで、俺は何とも思わない。

仏教的に言えば、俺は音楽に余計な「色」をつけずに聴く耳を持っているのだと思う。

AIが作った。

人間が作った。

何年かけて作った。

ボタン一つで作った。

そんな情報を一度外して、まず音だけを聴く。

そして、

「これはいい」

と思ったら、それでいい。

テクノなんて、もともとそういう文化だった。

サンプリングしていようが、
機械で鳴らしていようが、
既存の音を切り刻んでいようが、

最終的には、

「で、カッコいいの?」

だった。

それが一番強い。

逆に、どれだけ人間が苦労して作っても、聴いて良くなければダメだ。

俺はそう思っている。

ありそうで、なかった

そしてここでもう一つ、AI音楽についてよく誤解されていることがある。

「既存の曲を学習しているんだから、結局パクリなんでしょ」

という話だ。

でも、実際に大量に生成していると、そんな単純な話ではないことが分かる。

確かに、

「このアーティストっぽいな」
「この時代の、このジャンルの感じだな」

という曲は出てくる。

これはある。

でも、

「じゃあ元になった曲はどれ?」

と言われると、分からない。

メロディーがそのまま同じわけでもない。
展開が同じわけでもない。
コードが全部一緒というわけでもない。

ものすごくありそうなのだ。

でも、なかった。

俺はここが、AI音楽の一番面白いところだと思っている。

ありそうで、なかった。

これはかなり重要なことだと思う。

全く見たことも聞いたこともないものを出されても、人間はなかなか受け入れられない。

逆に、完全なコピーでは価値がない。

その間にある。

「これ、昔からありそうだよね」

と思う。

でも探してもない。

「こんな曲、あったっけ?」

と思う。

でもない。

そして普通に聴いて、いい。

これが強い。

俺にとってAI音楽の傑作というのは、そういうものだ。

ありそうで、なかった。

そして、いい。

それで十分なのだ。

人間だって、好きなアーティストの影響を受ける。

似たコードを使う。
似た音色を使う。
似たリズムを使う。

場合によっては、

「これ、かなりあの人っぽいよね」

と言われる。

でも、それでもどこか違う。

そこにその人のオリジナリティが出る。

AIも、実際に大量に聴いていると意外と同じことをやる。

このジャンルっぽい。
この時代っぽい。
このアーティストの影響は感じる。

でも、その曲自体は存在しなかった。

そして、その「存在しなかった曲」が普通にいい。

ここがすごい。

世の中でよく見かけるAI音楽というと、有名な曲を「○○風」にしたものが多い。

いわゆるフェイクミュージック的なものだ。

俺はあれも嫌いではない。

面白いと思う。

でも、あれはある意味で、人間がまだ安心して聴ける形に加工されている。

元の曲が分かる。

比較対象がある。

だから、

「やっぱりオリジナルの方がいいね」

と言える余地がある。

人間側に逃げ道が残っている。

でも、俺が言っているAI音楽は少し違う。

元の曲がない。

比較対象もない。

ただ目の前に、

「普通にいい曲」

が置かれている。

しかも、

「これ、昔からありそうだけど、なかったんだ」

という曲が出てくる。

ここには逃げ道がない。

作者がAIであることを除けば、普通にいい曲だからだ。

だからこそ、「AIだから嫌だ」という人にとっては、むしろこういう音楽の方が受け入れにくいのかもしれない。

DAWがうまいことと、いい曲を作れることは違う

最近は、AstraというAIにDAWを操作させて曲を作るような試みもある。

あれはあれで、かなり面白い。

画面を見ながらDAWを操作して、音を置いて、数値を変えて、曲を組み立てていく。

たぶんAstraが持っているのは、音楽を作るための「ノウハウ」なのだと思う。

こういうジャンルなら、こういう音を使う。

こういうコードを置く。

ここで展開を変える。

DAWではここを触る。

こう操作すれば、こういう結果になる。

そういうことを、おそらく大量のテキストや操作知識として知っている。

しかも画面も見える。

だから、人間がDAWでやっている作業そのものはかなり上手に再現できる。

普段DAWを触っている人が見れば、

「俺より操作うまいじゃん」

と感動することもあると思う。

でも俺は、そこにかなり大きな問題があると思っている。

「DAWをうまく操作できること」と、「いい曲を作れること」は全然違うからだ。

むしろ、いい曲を作るというゴールだけを考えたら、遠回りになっている。

これはかなり大きな代償だと思う。

Sunoのような生成AIは、途中の操作をほとんど全部すっ飛ばす。

DAWのどこをクリックするかも知らなくていい。

何Hzを削るかも知らなくていい。

ノートをどこに置くかも知らなくていい。

大量の音楽そのものを学習して、いきなり「曲」を出してくる。

その中に、たまに幽霊がいる。

ものすごいメロディー。

たまらないコード進行。

一発で持っていかれる展開。

身体が勝手に動くビート。

そういうものが絶妙に噛み合った、「音楽力」のある曲だ。

俺は結局、ここが一番重要だと思っている。

曲の作り方を知っていることではない。

DAWを使えることでもない。

音楽理論を知っていることでもない。

最終的に、その曲に音楽力があるかどうかだ。

そして、その音楽力そのものを聴き分けられない人がかなりいる。

俺はこれをずっと「幽霊が見えない」と言っている。

少し意地悪な言い方をすれば、幽霊が見えていないのに、一生懸命ゴーストバスターズをやっているようなものだ。

まず幽霊が見えなければ、捕まえようがない。

いい曲とは何かが見えていないのに、一生懸命曲を作る。

俺からすると、それはかなり不思議なことに見える。

いい曲が見えていたって、いい曲を作るのは難しい。

なのに、いい曲そのものが見えていない状態で曲を作ろうとしている人が山ほどいる。

しかも、これはアマチュアだけの話ではない。

プロの音楽家を聴いていても、

「あ、この人、幽霊が見えてないんだな」

と思うことは普通にある。

見えることの証明は「選べる」ことだけ

もちろん、こんなことを言えば傲慢だと言われると思う。

「それはお前の価値観だろ」

「単なる思い込みだろ」

「売れている音楽が正義だろ」

いろいろ言われるだろう。

それはそうだと思う。

最後は価値観の話になる。

でも、幽霊が見えていない人に、幽霊が見えている人の感覚は説明できない。

逆も同じだ。

俺は幽霊が見えてしまっているので、見えない人がどう聴いているのかが、もうよく分からない。

だから結局、

「俺は見える」

としか言いようがない。

では何を根拠にそんなことを言うのか。

俺の場合は、一つだけある。

選べるからだ。

10万曲近い生成物の中から、

「これは違う」

「これは残す」

「これはすごい」

を選び続けることができる。

そして、選んだものを後から聴き直しても、やはりいい。

少なくとも俺にとっては、それが「幽霊が見えている」ことの唯一の証明になっている。

この先に必要なのは、耳

今後AIはもっと高音質になるだろう。

もっと綺麗になるだろう。

もっと整うだろう。

もっと人間の指示にも忠実になるかもしれない。

でも、Suno 4.5みたいに、権利的にかなり無茶な学習をした上で、そこから大量に「ありそうでなかった良曲」が出てくる状態は、もうそう簡単には戻ってこないと思う。

だから俺は今、この話を書いている。

使える時に使った。

掘れる時に掘った。

誰もまだ価値に気づいていない時に掘った。

そして、掘った後に鉱山が閉じた。

だから今なら話せる。

「ああ、なるほど。じゃあ今から同じことをやろう」

と思っても、もうできない。

残念ながら、最初のゴールドラッシュは終わった。

でも俺の手元には、その時代に掘った大量の原石が残っている。

そして、ここから先に必要なのは、さらに高性能な生成AIではない。

その原石の中から、本当に価値のあるものを見つける耳だ。

AI時代に一番希少になるのは、作曲能力ではないのかもしれない。

大量に作る能力でもない。

何がいいのかを見抜く能力。

つまり、耳なのだ。

もっと正確に言えば、

幽霊が見える人間なのだ。

幽霊を見る力は鍛えられる

でも、ここで一つ大事なことがある。

俺は「幽霊が見える人」と「見えない人」がいると言っているけれど、最初から全部の幽霊が見えていたわけではない。

そんなことはない。

むしろ、長いこと見えなかった幽霊もたくさんいる。

本当にすごい音楽家というのは、その人にしか見えていない幽霊を持っている。

その人にしか見えていない世界がある。

そして、それを何度も音楽として再現してくる。

俺はそういう曲を聴いた時にやられる。

「あ、ここにこんな幽霊がいたんだ」

と気づかされるからだ。

それまで自分には見えていなかったものが、突然見えるようになる。

そこから自分の音楽の見え方が変わる。

つまり、優れた音楽家というのは、単にいい曲を書く人ではない。

それまで見えていなかった幽霊を、他人にも見えるようにしてくれる人なのだと思う。

だから当然、幽霊にはいろいろいる。

時代によっても違う。

メロディーにものすごく強く反応する時代もある。

ビートそのものが主役になる時代もある。

音色だったり、間だったり、グルーヴだったり、ハーモニーだったりする。

見える幽霊は一つではない。

俺自身、長いこと分からなかった幽霊がいる。

例えばブラックミュージックだ。

最初から全部分かっていたわけではない。

ある時、あるヒントをきっかけに、

「この眼鏡をかけて見ればいいのか」

と分かった。

すると、今まで見えなかったものが急に見えるようになった。

だから俺は、音楽を聴く力は鍛えられると思っている。

幽霊を見る力は鍛えられる。

大事なのは、

「今、自分に見えている幽霊だけが、世の中に存在する幽霊の全部だ」

と思わないことだ。

ここを勘違いしている人は多い。

自分が分かるメロディー。

自分が分かるコード。

自分が分かるビート。

自分が分かる美しさ。

それだけを絶対的な「いい音楽」だと思ってしまう。

でも、それは単に今の自分に見えている範囲でしかない。

まだ見えていない幽霊がいるかもしれない。

むしろ、たぶん大量にいる。

だから面白い。

もちろん、見えている幽霊の種類が少なくても、それ自体が悪いわけではない。

一種類しか見えない人が、その幽霊だけを一生追い続けてもいい。

ものすごく単純なものばかり作る人もいる。

悪く言えば、ずっと低級霊みたいなものを追いかけている人もいる。

スライムみたいな幽霊だけをずっと作っている人もいる。

でも、それはそれで見えているのだからいい。

問題は、それしか見えていないのに、

「幽霊とはこれのことだ」

と思ってしまうことだ。

そこで成長が止まる。

見えていたのに、捕まえられなかった

俺自身はどうだったか。

俺は幽霊を見る力には、それなりに自信があった。

でも、見えている幽霊を、自分で捕まえて曲にする能力はそれほど高くなかった。

一応ミュージシャンの端くれではある。

曲も作ってきた。

でも、

「こういう曲がいい」

「ここに幽霊がいる」

というのが見えていることと、

それを自分の手で完全に再現できることは別だった。

ここには、ずっとフラストレーションがあった。

見えている。

でも捕まえられない。

分かっている。

でも作れない。

ところが、AIが出てきた。

ここで状況が変わった。

俺は突然、幽霊そのものを作る必要がなくなった。

AIに何千、何万という候補を出させて、その中から、

「いた」

と指差せばよくなった。

だから俺はAI音楽に異様にハマったのだと思う。

もともと見えていたのに、自分ではうまく捕まえられなかった。

その長年のフラストレーションがあった。

そこに、無限に網を投げてくれるAIが出てきた。

だから、めちゃくちゃ捕まえた。

俺にとってAI音楽は、作曲能力を手に入れたというより、

ずっと見えていた幽霊を、ようやく大量に捕まえられるようになったという感覚に近い。

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