ダサいマシンライブ動画とは

ダサいマシンライブ動画とは

俺が思う、ダサいマシンライブ動画がある。

一言でいうと、機材が多すぎるやつだ。

マシンライブでもDAWレスでも、俺が好きなのは基本的に1台か2台。せいぜいそのくらい。

なぜか。

YouTubeで機材の動画を探している人って、たいてい「この機材、どんな音がするんだろう?」と思って見ているからだ。

だから、なるべく単体で鳴らしている動画の方が面白い。

「え、この1台だけでここまでできるの?」

そう思わせることができる。

見る側にとっては、その機材を買うかどうか判断する材料になるし、作る側にとっても「この1台だけでどこまでできるか」というチャレンジになる。

俺はそこが面白いと思う。

逆に、機材を5台、6台、場合によってはそれ以上ずらっと並べて、「俺の装備を見ろ」みたいになっているマシンライブがある。

もちろん、モジュラーでもグルーヴボックスでも何でもいい。

機材が多いこと自体が悪いわけじゃない。

ただ、不思議なことに、そういう動画に限って曲がつまらないことが多い。

たぶん、制御しきれてないんだと思う。

機材を使って音楽を作っているというより、機材を並べること自体が目的になってしまっている。

「俺はこれだけ持っている」
「俺はこれだけ接続している」
「俺はこんな複雑なことをやっている」

そこにエゴが出てくる。

でもYouTubeで見ている側にとって、そんなことはそれほど重要じゃない。

それより、

「この機材って、こんなことができるんだ」
「こういう使い方をすると面白いんだ」
「この動画を見て、ちょっと欲しくなった」

そう思わせる方が、よほどサービス精神がある。

カメラの置き方だってそうだ。

手元が見やすい。
何を触っているのか分かる。
今どの音がどの機材から出ているのか分かる。

そういうもの全部を含めて、動画としての表現だと思う。

だから俺がマシンライブ動画で一番ダメだと思うのは、機材が多すぎて、しかも曲がつまらないやつだ。

ただ、ここで必ず言われる。

「曲がつまらないって、それあなたの主観ですよね?」

そう。

主観だよ。

当たり前じゃん。

むしろ、そこが重要なんだ。

これまで「表現者」というと、曲を作る人、演奏する人、絵を描く人、映像を作る人みたいに、「作る側」ばかりが表現者だと思われてきた。

でも俺はそうは思っていない。

「このマシンライブはつまらない」
「これはめちゃくちゃかっこいい」
「この音はいい」
「これはダサい」

そうやって選ぶ側にも表現がある。

当然、その批評が的外れなら、批評する側の資質が問われる。

だから俺がこのブログで何を選ぶかは、そのまま俺自身の表現になる。

俺が何をかっこいいと思っているのか。

何をダサいと思っているのか。

何を残して、何を捨てるのか。

そこに価値があると思って、このブログをやっている。

そしてAI時代になると、これはさらに重要になると思っている。

なぜなら、「作る」という行為そのものは、これからどんどんAIがやってくれるようになるからだ。

音楽を作る。
画像を作る。
映像を作る。
文章を書く。

作るコストは、恐ろしく下がっていく。

そうなったら最後に残るものは何か。

選ぶことだ。

何を良いと思うか。
どれを使うか。
何を組み合わせるか。
何を人に見せるか。

そこに人間の表現が残る。

これって、考えてみればDJと同じなんだよね。

DJは人の曲を流しているだけ。

昔の俺もそう思っていた。

「人が作った曲をかけてるだけじゃん」って。

でも今は全然そう思わない。

例えば同じテクノでも、部屋でマシンライブしている人の音と、クラブでDJが鳴らしている音って、全然違う。

なぜか。

そこにちゃんと表現が入っているからだ。

クラブでは、目の前にいる人を踊らせなきゃいけない。

だからキックの鳴り方も違う。
低域の作り方も違う。
展開の作り方も違う。

家の小さいスピーカーやイヤホンでは分からない、フロア全体を「ボーッ」と揺らす低域がある。

DJはそれを身体で知っている。

だから、そういう場所で使える曲を選ぶ。

そしてトラックメーカーも、DJに選ばれるような曲を作る。

昔からダンスミュージックというのは、そういう循環でできてきた。

DJが選ぶ。

その「選ぶ」という行為が、シーンそのものを作ってきた。

だったら今は、DJ以外の人間だって選べる。

音楽を集める。
映像を集める。
機材を集める。
写真を集める。
デザインを集める。
考え方を集める。

これを今っぽく言えば、キュレーションということになる。

ただ、俺が言っているキュレーションは、フジロックの出演者を選ぶみたいな大げさな話じゃない。

もっと個人的なものだ。

「俺はこれがかっこいいと思う」

それだけ。

昔のブログだって、実はずっとそれをやっていた。

好きな曲を貼る。
好きな写真を載せる。
好きな映画を紹介する。
好きなデザインを集める。

それだけで、その人の世界観ができていた。

今、俺がこのブログでやろうとしているのも、まさにそれだ。

俺がかっこいいと思うものを、一箇所に集める。

俺がいいと思うマシンライブ。
俺がいいと思う機材。
俺がいいと思う音。
俺がいいと思う映像。

その選択そのものを表現にする。

「そんなことして金になるの?」

ならないよ。

そんなの、なるわけないじゃん。

だから表現なんだよ。

金になるからやってるんじゃない。

今さらブログなんてオワコンだとか、マシンライブなんてニッチだとか、そんなことはどうでもいい。

俺は、

「お前ら、このかっこよさ分かんねえだろ」

くらいの気持ちでやっている。

俺の方が耳がいいと思っているし、俺の方がかっこいいものを知っていると思っている。

かなり勝手な話だ。

でも、それでいい。

その勝手な主観を出すことが表現だから。

その中で、たまに、

「あ、俺もこれかっこいいと思ってた」

という人が現れる。

たぶん、そういう人とは友達になれる。

俺にとっては、それくらいでちょうどいい。

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