この回の結論
ノスタルジーと 90 年代の筋肉記憶を脇に置くと、今の環境に W-30 を組み込む意味はあるのか。答えは「思っているより大変で、思っているより報われない」。ワークフローは手間がかかって難解で、W-30 を自分のサウンドに不可欠な要素だと考えていた Liam Howlett ですら、バンドが国際的な注目を集めた途端により高度なシーケンス/サンプリング機材に乗り換えた。Prodigy のサウンドの秘伝のタレは、結局のところ Liam Howlett の音楽的天才の方だったという話かもしれない。
何を喋っているか
- 今回は「オリジナルの Prodigy キーボード」= Roland W-30 の話。1989 年のサンプリングワークステーションで、Liam Howlett のライブ・スタジオ両方のバックボーンだった機材。古めかしいワークフローと、本人がどう使っていたかを見て、実際に音楽を作ってみる。90 年代にビートを作るのは気の弱い人間の仕事ではなかったことが分かる。
- Liam Howlett は W-30 の初期採用者。10 代でヒップホップグループ Cut to Kill の DJ を辞め、ロンドンから地元の Braintree (Essex) に戻り、ターンテーブルを 1989 年発売直後の W-30 に持ち替えた。他の機材は後から足されたもので、最初のデモテープは W-30 だけで作られ、バンド独自のサウンドの設計図になった。
- 中身は既存の Roland 技術の寄せ集め。MIDI シーケンスは MC-500 に近く、サンプリングは S-50 譲りの 30kHz 12bit。改良点として内蔵のありきたりな音色群が入っているが、Liam Howlett はこれを心の底から憎んでいた。加えてレゾナンス付きフィルターが乗り、ワークステーションをまともなシンセにしている。
- 内蔵 ROM 音色に加え、RAM は「なんと」512 キロバイト。2 つのサンプリングバンクに分かれ、各バンクは最高サンプルレートでモノ 7.2 秒まで。15kHz のローファイモードもあり、その分長く録れる。
- 80 年代のサンプラーなので、サンプル・パッチ・シーケンス・ソングの保存先は当然 720KB の DD フロッピー。この「ディスク/タバコ/パーティー用品ホルダー」の美しさに見とれる前に、システムディスクが要ることを忘れるな — これが無いと本体すら起動しない。金回りのいいプロデューサー向けに Roland はハードディスク用の SCSI ボードも出していた。今回は Global DJs の Florian 氏がミント個体を貸してくれた。
- 貸してもらった個体にはフロッピーエミュレーターが入っていて、これが生活を相当楽にしてくれる。それでもサンプルの読み込みは時間を食う作業。デジタル時代の Roland の UI は難物で有名 — 最小限のフロントパネル、意味不明なメニュー構造、そして大量の「まずマニュアルを読め」。Liam Howlett はこのキーボードを隅々まで覚えるのに 4 ヶ月の隠遁生活を要した。
- こちらにはそんな時間はない。ディスプレイは現代の Roland 基準でも異様に大きいが、この「謎に包まれた不可解の中の謎」をダイヤル 2 個と電卓風テンキーと数個のボタンで捌かなければならない。ワークフローの中心は当然サンプリング。音源 (Liam の場合は DJ ターンテーブル) をリアパネルにひとつだけあるオーディオ入力に繋ぐ。
- 本体の SOUND セクションからサンプリングメニューに入り、サンプルに名前を付け、音質と最大録音時間を決める。READY で入力信号をモニターし、手動で録音開始するか、しきい値を設定してオートサンプリングさせる。「大成功」。当時メモリは貴重品なので、他の録音のために領域を空けるべくサンプルのトリミングが最重要。
- 編集とループ用のグラフィカルな波形表示は、いまだに完全には理解できていない。録ったものは普通のサンプラー音色にできる。ここで Liam Howlett の作曲プロセスに戻る — 鍵盤全体にマッピングして、すぐ弾ける 90 年代ダンスフロアの怪物に仕立てる。
- 各種インタビューや記事によれば、これが 90 年代半ばまでの Prodigy の初期のやり方。シーケンスは最小限にとどめ、ループやサンプルは鍵盤から弾く。特にライブではそうだった。このやり方は全体に生々しさを足すが、同時に W-30 の限界の証明でもあるのかもしれない。
- DAW で育った人にはこの仕様は「この業界じゃ新人の数字だ」に見えるだろう。16 音ポリ、同時に使えるパッチは 8 個、サンプル音色は合計 32 個。ただし本当の難所は内蔵シーケンサー。16 トラックの 80 年代式リアルタイム MIDI レコーダーで、基本的なクオンタイズ、コピペ、ノートデータを細かくいじるリストエディターだけ。
- ピアノロールも無し、TR 式のステップシーケンスも無し。パートは自分で弾くしかない。ここで Prodigy の首謀者は 8 年間のピアノレッスンが効いてきたのだろう。このシーケンサーは外部機材も制御でき、Liam Howlett は長年かなりの数を所有していた。すべての始まりはバンド名の由来になった Moog Prodigy。
- 音色の幅を広げ、W-30 の癖を回避するために機材が足されていった。最初かつ最重要の追加は「W-30 をもっと買う」こと。2008 年までステージでマスターキーボードとして使われたが、実際の曲作りは 90 年代半ば — おそらく Jilted Generation 制作期 — に Cubase ベースのシステムへ移行。この辺は情報が曖昧。
- W-30 中心のスタジオセットアップで実際に使われたものを挙げていく。使えるサンプル数は Akai のサンプラーを足して拡張 (制御は W-30 から)。最も目立つ追加は TR-909 で、ライブでもスタジオでもビートにパンチを足すために使われた。SH-101、Juno-106、Hoover 音色で有名な Alpha Juno などのクラシックなアナログも豊富。
- TB-303 数台と定番の Moog 群はさておき、地味な Roland U-220 も特筆に値する — あの独特の「Prodigy ストリングス」の出所。お気づきの通りこのワークフローにはマルチトラック録音が一切無いが、幸い W-30 は複数のアウトを備えていて、音の仕上げがしやすい。理想を言えば古い Mackie で。
- ただし今回は仕上げに DAW を使う。前述の通り W-30 は 90 年代のうちに Prodigy の制作・ライブ環境で徐々に存在感を失っていったが、このキーボードで作られた曲の多くは今聴いても通用する。その精神を、現代版 W-30 セットアップで捕まえられるか試したい。12bit サンプルのローファイな歪みに加えて必要なのは…
- …909 系のドラムマシン。オリジナルの TR は持っていないので、Jomox Airbase と Beatstep Pro で代用する。Liam Howlett は 90 年代の時点で「新しいアナログシンセを出さない Roland」をすでにバカにしていたが、デジタルの AIRA Compact S-1 についての彼の意見はぜひ聞いてみたい。
- デジタルのエミュレーションつながりで、303 の代わりに TB-3 を使う。都合よく内蔵 FX が付いていて、容赦のないディストーションがかけられる。ここでジャム。
- 【Verdict】ノスタルジーと 90 年代の筋肉記憶を抜きにして、今の環境に W-30 を入れる意味はあるのか。「思っているより大変で、思っているより報われない」としか言えない。ワークフローは手間ばかりかかって難解。
- しかも W-30 を自分のサウンドに不可欠だと考えていた Liam Howlett 本人ですら、バンドが国際的注目を浴びた途端に、より高度なシーケンス・サンプリング機材へ乗り換えた。Prodigy のサウンドの秘伝のタレは、結局 Liam Howlett の音楽的天才の方だったのかもしれない。see you next time。いつもの締め — like、subscribe、patron、そしてあなたの機材欲が何を買えと命じてこようが下のリンクを使ってくれ。
- Liam の発言引用「セットを演奏してるときは、鍵盤から鍵盤へ走り回ってるだけみたいな感じ」。80 年代デジタル Roland の UI の苦痛には慣れているつもりだったが、W-30 は完全に見くびっていたと認める。学習曲線は残酷で、マニュアルもあまり助けにならない。
- それでも挑戦する気があるなら YouTube に良い動画がある。まず Synth Mania の Paolo の比類なき専門知識 — そのアプローチは各種 Prodigy インタビューで語られている内容と驚くほど似ている。Aspen Craft のコンテンツも構成が良い。ただしそれがあなたの恋愛生活に良い影響を与えるとは思わないこと。あと Thomas Matthew Evans のチュートリアルも必見。