最近、本当に嫌いな言い方がある。「個人的には……」ってやつ。
いや、個人的な意見を聞きたいんだよ、こっちは。お前がどう思ってるのかを聞いてるんだから、「個人的には」なんて付けなくていい。「これは好きです」「これはダサいです」「これはクソです」でいい。
言い切るから指針になる
もちろん、それは絶対的な真理じゃない。そんなの当たり前なんですよ。でも、絶対的じゃないものを、あえて絶対的なものとして言い切るから、そこに指針が生まれる。
「これはダサい。なぜならここがこうだから」「これはかっこいい。なぜなら普通はこうなるところを、こいつはこう外してるから」。そこまで言われて初めて、「ああ、そういう見方があるのか」ってなる。逆に「いや、それは違うだろ」と思ってもいい。それで自分の判断基準ができる。
でも最近は、「個人的には好きです」「個人的にはちょっと違うかなと思います」って、ものすごく逃げ道を作る。他人を傷つけないための配慮なのかもしれないけど、俺からすると、そこで自分の発言に対する責任から逃げてるように見える。
いや、言い切れよ。って思う。お前が言ってるんだから、お前の意見なのは最初から分かってる。
「人それぞれ」も同じ。人それぞれなのは当たり前。それを言ったら、そこで話は終わりなんですよ。
嫌いなものまで含めて美学
俺がこのブログでやりたいのは逆。これはダサい。これはかっこいい。そして、なぜそう思うのかを書く。
それを積み重ねれば、「こいつは何をかっこいいと思って、何をダサいと思う人間なのか」が見えてくる。たぶん、それが美学なんですよ。好きなものだけじゃない。何を嫌い、なぜ嫌いなのかまで含めて、その人の美学になる。
だから俺は言い切る。別に世の中の正解を決めたいわけじゃない。俺の正解を、責任持って置いておきたいだけなんですよ。